平成5年3月卒業 田中 均さん
平成4年度(平成5年3月)卒業の田中均と申します。
私は高校生活を現在の奈良大学附属高等学校とは所在地・学校名とも異なり、近鉄大和西大寺駅前の正強高等学校で3年間を過ごしました。
現在の奈良大学附属高等学校と共通しているところは多くの生徒数と、全国レベルの体育会系クラブをはじめとし、クラブ活動が盛んなことです。私自身はクラブ活動には参加していませんでしたが、体育会系クラブで活躍する多くの友人に囲まれて過ごしていたことを覚えています。
そんな友人たちがクラブ顧問の先生をはじめとする諸先生方や先輩方に対して普段とは異なる非常に礼儀正しい振る舞いをすることに驚き、また、その様に振舞える彼等を少しまぶしくも感じていた事を覚えております。
私は、奈良大学へと進学し、そして現在は営業担当者として全国の主要な大学・短期大学・専門学校の広告代理業務や、全国の高校生に進路情報を提供する仕事をさせて頂いております。
学校の先生ではありませんが、時には高等学校よりご依頼を頂き生徒さんの前で講演をさせて頂くような機会もあります。高校時代の自分を振り返ると考えられないことですが、お陰様でなんとかやれています。
今でも高校生と仕事で接する機会が多くあり、冒頭に触れた礼儀や基本的な学校生活についての講話をしますが、高校生の反応は少し弱いです。グローバル社会でもあり、また、インターネットの普及により世界が大きく変化したことで新たに得られた便利なものの反面、本来大切にすべき何かを置き忘れがちになっているのではと考えてしまうこともあります。
この様に思えるのも、高校時代の担任の先生をはじめ、諸先生方に勉強もさることながら生活態度について多くのご指導を頂けた3年間があったからだと思います。先生方や先輩方に感謝いたしております。
これからの時代はこれまで以上に変化が激しく、また、その変化が恐ろしいほどのスピードでやってくることでしょう。情報ツールの使用に長けていることが生活を豊かにする条件となるかも知れません。それでも、私は人を豊かにするのはその人たちの心のありようであり、他者に対する姿勢や人柄が全ての生活を豊かにする基本であると考えております。
最後になりましたが、奈良大学附属高等学校並びに奈良大学の益々のご発展をお祈り申し上げます。
平成23年3月卒業 濱川 裕子さん
私は小学校1年生から剣道を習い始め、中学校では剣道部が無かったため、地元の道場に通いながら学校の名前を借りて公式試合に出場していました。
そんな私が、縁あって奈良大学附属高校へ入学することになりました。高校入学と同時に、監督の勧めもあり、中段の構えから竹刀を頭上で構える上段の構えをとるようになりました。
今まで部活動に所属したことがない私にとって、新しい構えや日々の厳しい練習、上下関係等、毎日先生や先輩方に指導されてばかりで辛い時もありましたが、同級生や周囲の人に支えられインターハイ出場などの成績を残し、卒業することが出来ました。
高校卒業後はスポーツ推薦で近畿大学に進学し、剣道を続けることになりましたが、なかなか結果を出すことの出来なかった私は、剣道を辞めようと悩んだことがありました。
その時、私の原点である母校へ戻り、恩師やお世話になった方々から様々なアドバイスをいただき再び剣道を続ける事ができました。そして、関西大会で準優勝することができました。
大学卒業後は、近畿日本鉄道に就職し剣道から離れた生活をしておりましたが、もう一度剣道をしたいと思い奈良県警察に転職をしました。当時転職について悩んでいた私の背中を押して下さったのも、奈良大学附属高校の先輩でした。
現在も県民が安心して安全に暮らせるために、地域警察官として日々業務に取り組んでおります。また剣道では、県警の剣道特別訓練員に選出され、男性警察官と一緒に日本一を目指して訓練に励み剣道を続けています。
私の人生において、悩んだ時や立ち止まった時に、手を差し伸べ、声を掛けてくださり、背中を押してくれる方々がいるのが奈良大学附属高校です。今の自分があるのは、先生や先輩方などたくさんの人との縁を頂き、そのような繋がりがあったからだと思います。
本当に奈良大学附属高校に入学して良かったと思います。私にとって奈良大学附属高校で過ごした3年間は、かけがえのない宝物であり、誇りです。
平成25年3月卒業 福田 真之佑さん
奈良大学附属高等学校での学校生活は、友人と先生方に恵まれ、悩み苦しみながらも充実した日々を過ごせたと、感謝しております。
当時の私は野球部に所属し、毎日練習に励んでおりました。しかし、先輩やチームメイトと考えが合わず、練習がつらくて思うような結果が残せないなど、野球から離れたいと思う時期がありました。
そんな中、進路についてどうするか、担任の宮﨑先生と相談したことをよく覚えております。特にセミナーハウスであった勉強合宿のことをよく思い出します。夜遅い時間まで進路について相談させていただきました。
また先生の学生時代について、研究のため食したキノコのせいで体調を崩すことがあった、猿沢池の水を抜いて生物調査を行った、など沢山のエピソードを聴かせていただきました。
研究や活動について楽しそうに語れる先生にいつしか憧れを持つようになり、これまで野球しかなかった自分に、研究という新しい分野に興味を持たせていただきました。あの時間があったからこそ、先生と同じように大学院まで進学し、今の道を歩んできたんだと思っております。
大学に進学した後は、兼ねてから興味のあった医療だけでなく、工学についても学び、人工透析装置やECMO(人工肺)の操作・保守を行う臨床工学技士の国家資格を取得しました。その後、医療機器や検査装置に興味をもつようになり、大学院では生体計測の分野で研究に取り組みました。現在は島津製作所にてPCR検査装置、X線撮影装置などの幅広い分野で設計・開発の仕事に頑張っております。
最後になりましたが、奈良大学附属高等学校の益々のご発展を心からお祈りします。
平成28年3月卒業 中嶋 遼さん
平成27年度に奈良大学附属高校を卒業後、関西大学人間健康学部に入学しました。
高校時代を振り返えると、仲間や環境に恵まれ、多くのことを学ぶことができた充実した三年間でした。その中でも特に印象に残っているのは部活動です。
小学校から続けているバドミントンでは、納得のいく結果を残すことができず、とても悔しい思いをしました。「さらに強くなりたい」と思い、環境が整備されている奈良大学附属高校に入学を決めました。
3年生の頃には主将を務めさせていただき、人を思いやる事、コミュニケーションの大切さ等、多くのこと学びました。「努力が天才なり」の建学の精神のもと、チーム全員が同じ目標に向かい切磋琢磨した毎日。その結果、三年連続インターハイに出場することができ最後は悔いのない試合ができました。
部活動に真剣に取り組むことができたのも両親をはじめ、関わってくださった全ての方々のおかげだと感謝しています。奈良大学附属高校で過ごした三年間、主将を務め、人として成長させていただいた一年間は私の人生の中で今も大きな財産として残っています。
卒業後も「母校に戻りたい」「バドミントンをしたい」と思わせてくれる魅力ある学校で学べたことは誇りに思っています。
大学では体育の教員免許を取得し、将来は人の育成に深く携わっていきたいと強く思いました。現在は肢体不自由の特別支援学校で講師として勤務しています。そこで校長先生の「不便ではあるが不幸ではない」という言葉を聞き、一つひとつの授業の大切さを実感しました。
児童生徒の些細な変化にも気付き、正面から向き合っていく指導を目指し、日々努力していきたいと思いました。生徒の成長を身近で感じ、寄り添うことができる教員という仕事にとてもやりがいを感じています。
最後になりますが奈良大学附属高等学校の今後益々の発展とご健勝を祈念いたします。
平成22年3月卒業 八島 花帆さん
私は今、たくさんの子ども達に囲まれて毎日を過ごしています。
奈良大学附属高等学校での3年間、先生方の温かなご指導を受け、またいつでも背中を押してくださる安心感から、今までの中で最も充実した3年間を過ごすことができました。
在学中は、校外のクラブチームで新体操をしていました。校内の部活動ではないにも関わらず、先生方がその活動を認めて下さったこと、応援してくださったこと、多くの支えをいただき、卒業まで続けることができました。
やりたいと思うことを続け、応援してくださっている先生方の期待に応えるには、学業にも責任をもたなければいけないと考えていました。その中で私がよく感じていたのは、先生方自身が授業を楽しんでおられるということです。私たち生徒とともに授業をつくりあげようとしてくださっている、一生懸命伝えようとしてくださっているという熱意を感じながら授業を受けられたことは、勉学に励むにあたり大きな刺激となりました。
3年間担任としてお世話になった渡邊先生には、いつも温かい言葉をかけていただきました。先生のお言葉からは、私たち生徒のことを本当に大切に思ってくださっているのだなということを感じ、また、先生についていけば間違いない!と思える熱意溢れる授業は、ぐっと集中できる時間でした。全ては目の前にいる私たちのために、奈良大学附属高等学校の生徒のために、というお気持ちを感じながら過ごせた3年間でした。
このような高校生活を過ごせた私は、お世話になった先生方のように、これからの未来を担う子ども達の背中を押せる人でありたいと思い、小学校の教師の道へ進みました。7年目を迎えた今でも、先生方のように楽しみながら授業をつくりあげることを目標にしています。私自身、今の仕事を楽しみながら、いつまでも子ども達を応援する存在でいられたらと思います。